30th 9月2018

弓道について 

by minamigawa54

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北斎漫画と源頼政の鵺退治図である。

アーチェリーもそうだけれども、「的をねらう」場合は、このような形になる。当然である。

弓道家がこれを見ると「北斎の勘違い」ということを言い出すのだけれど、「動く的をねらって射る」場合はこれが正しい。

ポイントは、右ひじが矢とまっすぐになるところで、このひじと弓手で「ねらいを定める」。

葛飾北斎という男の観察眼は並みのものではない。手首足首が人の表情として絵に表れることを知っているので、特に注意して観察したはずである。その北斎がこのように描いているのだから、これが正しい。西洋のアーチェリーもこのような形になるということは、これが「本来の」弓の扱い方である。弓道しかやったことの無い人は、一度自分の弓でこっそりとこのようにして矢を放ってみると良い。狙い通りによく当たるのである。自分よりも前、すべてが視野に収まっているのでねらうことができる。しかし、「弓道」になると、馬手は耳よりも後ろに行き、視野から外れる。手を耳の後ろにまで引けば、ねらえるはずがない。弓道の形は、ねらうための形ではない。

弓道の場合、「動く的」はねらわない。しかも、的は腰よりも低い位置に「置いてある」。ということはどういうことか。あまりこういうところを弓道家は考えない。

 

「弓道は礼射である」

ということである。弓道の射形は、礼射の形であって、本来実際の弓の使い方ではない。非常に特殊な場合に限定される弓の使い方である。

どのように特殊かというと、「殿様の前で弓の力を100%出して的に中てる」ということである。

戦場で、狩猟で、弓道の射形で当てることは難しい。スピードが必要だからだ。弓道で「早気」というものがある。会に入ってすぐに離してしまう「病気」である。戦場や狩猟、つまり実戦において、矢を放つタイミングは相手の動きにもよってくる。弓道の場合は完全に自己都合である。だから早く矢を放ってしまうことが病気になるが、実戦においては早いか遅いかは問題ではなく、相手に当たるタイミングで放ったか、が問題である。

松波佐平弓具店のHPには東大寺通し矢絵巻があるが、そこの記載に

>一昼夜で一万本以上射るには、一分間に十~十二射射る事になる為に一本の矢が的に当たる頃には、次の矢が弦を離れており、三本目の矢が弦にかかっているという速射だったことがわかります。

とあるので、「会での充実」などしている暇はないのである。これが天保年間のことであるので、江戸時代の通常の弓といえば、北斎の描いたような射方が通常であったといえる。

弓道のような「礼射」は儀式的なものであって、実戦性のないものであると理解したい。

さて、では「礼射」とはなにかというと、弓の力を100%出して中てること、である。では、弓の力を100%出すにはどうするか、ということである。答えは子供でも理解できる。「弓を目一杯ひくこと」である。自分に押し開くことの出来る最大限開ききれば、それが弓の100%である。機械で押し開くわけではないので、弓と射手の複合の100%である。100%押し開いたときにどうなるか、というと、射法八節の会の状態になる。会の状態に「する」のではなく、会の状態に「なる」のである。

馬手のひじと、背骨、押し手の角見のラインが最大に伸びるようにする。そのとき肩甲骨の下側が寄り、上側が開ききることで肩の幅が数センチ伸びる。また、それを利用して脇の下背中側の筋肉を利用して弓を左右に「押し広げる」ようにする。最大限開ききったとき、「馬手に力が入らない」状態になる。「弓手に力が入らない」状態にもなる。「重心が少し前のめり」にもなる。「ひかがみに力が入る」。そういう状態になる。勝手になる。その状態から、左右にさらに数センチ押し広げると「離れ」る。なので、会での伸びあいは矢尺の伸びあいで、詰めあいは肩甲骨の下側を最大限詰めること、といったところである。その状態から、弓の力をさらに引き出すために、数センチ「押し広げる」つもりで開くと離れになる。

なぜ馬手や弓手に力が入らないかというと、背中側で最大限伸びるようにすると、馬手に力が入っていれば、馬手の手首によって腕のスジが引かれて、引きが数ミリ小さくなる。その数ミリを全力で伸ばそうとすれば、手首に力を入れていられない。全力で一箇所に集中すると、余分な場所に力を入れられないのが人である。このようにして上半身の弓手馬手の間隔を、肉体で確保できる最大量とり、さらにそこから伸びようとするとどうなるかというと、ひかがみに力が入り、足の裏で踏ん張ることになる。踏ん張る為には、足の開きの角度は大体60度である。

会の状態を基準として逆算で出したのが八節である。

最大限引ききるとどうなるかというと、足で踏ん張りながら、目一杯ピンと全身張っている状態になる。これは紙や布がぴんと張られている状態と同じで、一つの面を構成する。面は足踏みを基準とする。足踏みのラインで面を構成しているので、的までまっすぐになる。これが全力で引いていないと、からだにゆるみが生じて的をねらわなければいけなくなる。張っていればまっすぐなのでねらう必要が無い。これが「的が見えなくても中てられる」弓道独特の礼射である。

なので、実戦向きでは全く無いので、武術家はアーチェリーをやったほうがいいです。

 

と、書いたところで、以下のページを見つけた。ナイハンチを調べていたら出てきました。

ナイハンチの分解?

清朝における弓の練習と、本部のナイハンチの型の写真。肩の後ろまで引いているけれど、ひじと矢がまっすぐ。ひじと矢がまっすぐであればここまで引いてもねらえる。試しにやってみたが、実によくねらえる。

 

21st 9月2018

目的

by minamigawa54

弓を5月からやっています。

単純に、武術家が弓くらい出来なきゃいかんだろう、という思いからです。

弓道は、弓術とは異なって、よく分からない精神性を説くことがあるのが問題ですが、
私の入った道場は比較的そういうものが少なかったので助かりました。

私としては、さっと番えてさっと射るのが弓であって、ちんたらちんたらとやる弓道が一体なにを目指してやっているのかさっぱり分かりませんでした。

道場でも形が悪いとか力が入りすぎているとか表面的なことを言うわりに改善方法は誰も知らないという状態です。

そんな中で私個人としては、「たかが弓」というつもりでやっており、段については考えずにひたすら弓を引いておりました。
初段をとることにしたのは、弓術をやるにしても弓道で段を取らねば弓道場を借りれないということからです。

4ヶ月ほどで気づいたことは、「弓道家は、すぐにやめる」ということです。道場に来て20本も射る人は少ない印象です。
「集中力が切れてきたからこれ以上やっても中らない」と言ってやめます。単純に練習量が少ない。

矢は「中る」のであって、「中てる」のではないのです。「中る」のだから集中力は関係が無い。むしろないほうがいい。そのことがあまり分かっていない。私は午前中に道場に入ったら昼飯も食べずにずーっと夕方まで立ち続けます。夕方頃には無駄な集中力がなくなってきてちょうど良くなっています。

私を指導してくださる先生に、「中ればよいのではないですか?」と聞いたことがあります。先生は「中り方というものがある」と答えましたが、多分ご本人もよく分かっていないというか、どう中ればよいか説明が付かなかったのだと思います。

最近漸く弓道の目指しているものが分かりました。弓道家で弓道の目的が分かっている人は多分ほとんどいないでしょう。
弓道の目的は、「弓の力を100%出し切って矢を的に中てること」です。
そんな当たり前なことを、道場で忘れて、表面的な形を求めるから間違いを犯すのです。

弓の力を最大限に引き出すには、単純に目一杯引けばよいのです。それから、目一杯以上に引くために裏的を射るのです。
そのための射法八節です。決まりごとだから従わないといけないのではなくて、一番いいからこうしたほうがいいよ、といって決めたのです。射法八節の意図を汲まねばなりません。

大東流的に弓術を解釈するならば、「弓の力を100%出すことよりも、さっさと敵を射抜く」ことが目的となります。

20th 9月2018

認識=言葉+感覚

by minamigawa54

認識=言葉+感覚
という定義があるらしく、非常に納得がいっています。
というのも、認識とは言葉のみではないということ。感覚が人によって異なるために同じ事象でも認識が異なること。
合気もそうで、感覚が異なっていれば合気とはなんぞや?というところの認識が変わって当たり前である。
「実戦」と言ったときに、「実戦の感覚」が無ければ「実戦の認識」が無いのも事実。

感覚を得て、言葉と一致したときに認識が生まれる、というのが「学習」であり、
誰も「認識」していない事象の、よく分からない感覚に対して言葉を当てるのが「発見」であるように感じます。

18th 9月2018

知多四国 海蔵寺から影向寺

by minamigawa54

 

 

世の中には知多四国を歩いて周る人間が思っているよりいるようなので、日記代わりにログをここに。

知多四国の魅力は、名古屋人が簡単にいけるということと、疲れたらどこでも大体電車に乗れるということ。

電車に乗りづらい区間と言う意味で、難所は常滑から大谷、河和から内海の区間。

昨年末から年始にかけて四国八十八箇所徳島県を周った時に、知多半島の経験はかなり役立ちました。

知多半島を歩いて周れれば、四国はそれほど難しくないです。

知多四国+野犬+サル+熊?+接待=本四国

な印象です。

実際にはそれ以上のものがあるんですが、そこで本人が何をするかで変わってくるので人それぞれです。

 

朝6時40分に亀崎で降りて海蔵寺からスタート。

海蔵寺,18,19,20,21,22,23,24,25,開山所葦航寺,時志観音,26,27,禅林堂,28,43,岩屋寺奥の院,42,40,41打ち止め

周り始めた一番初めのときは1番から88番まで順番に!と思っていたのですが、途中で「日間賀島と篠島の船の時間がどうしても無理」

ということが分かって、それを踏まえた周り方を考えました。

●電車代がかかるので、どうせ周るなら最短日数。

●電車と船はどうしても使わなければいけないけれどバスはなんとなく使いたくない。

ということで、今回は2週目の4日目に相当するのですが、先っちょだけ残して内海に帰るのはそういう理由です。

5日目は半島の先っちょと日間賀島篠島で回る予定です。こうすると島でちょっと遊ぶ時間が出来るはず!?

歩くペースを考えていくと、どうしてもネックになると言うか、ここに無ければあと1日短縮できる可能性があるのに!というのが40番影向寺。

次回楽する為に今回無理に40番をねじ込みました。

今回は41番に着いたのが17時10分。電車の始発なら10分早く着いていたかも?なので冬でも始発ならギリギリコース。

本四国と違って1日に20カ寺あるので、線香・蝋燭・読経・納経所の時間を10分/寺としてもトータルで200分かかるという

ハードスケジュールなので、徳島を周ったときは予定よりも時間的な余裕はものすごくありました。

 

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知多半島は車で行くと道は狭くて脇道も無くてって印象ですが、のんびり歩くといいところです。