08th 10月2018

悟り に ついて

by minamigawa54

釈迦の言葉と共に。これは私の自戒のために記す。

 

捕らわれてはいけない。想像するものは現実ではない。私が望むものは全て「現実」に得られた。

 

超能力について

 

イルカは超音波でコミュニケーションを行う。

蛇は赤外線センサーで獲物を追う。

フンコロガシは自分より大きな糞を丸めて転がす。

蚊は獲物に気づかれぬように麻酔を施しながら血を吸う。

人に出来ぬことを彼らは行う。

人智を超えたことを彼らは行う。

これは奇跡であるか。果たして神が創ったか。

 

人は神を見る。

それは人の脳がイルカより蛇よりフンコロガシより蚊より大きいからである。

意識で認識できぬものを、神の御業と見間違う。

それは人の脳がイルカより蛇よりフンコロガシより蚊より大きいからである。

 

人の脳は大きくなった。

それゆえに意識の働きが生命の維持を超えて自我を持った。

自我に認識できぬことを神の御業とすることで自我を保つ仕組みが生まれた。

人が生まれ死ぬことについて魂を創造した。

天界と地獄とを創造した。

人々はそれを自ら創造し、信じ、信仰した。

人々の信仰が波となり人々を覆った。

本当に存在すると信じ込んだ人の波が伝染し、

人々は神を信じるようになった。

 

釈迦は言った。

「信仰を捨てよ」

 

人は、進化において獲得したもので必要なくなったものは退化させた。

退化しただけで、その痕跡は体にある。

松果体は爬虫類のように、ネズミのように、目で見えぬものを見る。

目で見えぬものが見えるからといって、超能力ではない。

気によって知れぬことを知り、気によって人々をコントロールするのは、

はるか昔、単細胞生物であったときの名残、単細胞生物のコミュニケーションである。

よってそれは超能力ではない。

 

宇宙の始まりはたまたまビッグバンが起きただけのこと。

そこからただただ物理的反応が続いてたまたま人が生まれた。

 

超能力者と称する人は、ただ、人である。

イルカや蛇やフンコロガシや蚊と同じように、超能力は人の力である。

超能力を持たぬものが超能力を持たぬのは、必要ないからである。

スプーンを曲げたり人の心を読んだり千里眼であったりというのは、

イルカは超音波でコミュニケーションを行い、

蛇は赤外線センサーで獲物を追い、

フンコロガシは自分より大きな糞を丸めて転がし、

蚊は獲物に気づかれぬように麻酔を施しながら血を吸うようなものである。

人に出来ぬことを彼らは行う。

人智を超えたことを彼らは行う。

人が超音波を聞き分けて、赤外線センサーで熱を感知し、

自分より大きな糞を丸めて転がし、人の血を吸うことと、超能力は同じである。

人に出来ぬことを行い、人智を超えたことを行うものが超能力であるなら、

超能力者は、そのような存在である。

 

執著を捨てよ。執著するものによって苦しみが生まれる。

この世は常に変化し、変化しないものは無い。

形あるものも形の無いものも変化してゆく。

それが法の全てである。

 

先祖供養は必要ない。

親族身内というものは最も執著が強くなるものである。

身内を捨てよ、家族を捨てよ。

 

捨てた後、慈悲によって見よ。

 

人は死ぬ。死んだ後には魂は生まれ変わることがない。

なぜなら魂は無いからである。

 

肉体と精神は同一である為に人であるのである。

肉体と精神とを分離しては人ではない。

まして肉体より精神が出るのであって、精神のみが単独で存在し、

この世の外から飛んで肉体に入るということは無い。

 

私は一人、犀の角のように進む。