目的
弓を5月からやっています。
単純に、武術家が弓くらい出来なきゃいかんだろう、という思いからです。
弓道は、弓術とは異なって、よく分からない精神性を説くことがあるのが問題ですが、
私の入った道場は比較的そういうものが少なかったので助かりました。
私としては、さっと番えてさっと射るのが弓であって、ちんたらちんたらとやる弓道が一体なにを目指してやっているのかさっぱり分かりませんでした。
道場でも形が悪いとか力が入りすぎているとか表面的なことを言うわりに改善方法は誰も知らないという状態です。
そんな中で私個人としては、「たかが弓」というつもりでやっており、段については考えずにひたすら弓を引いておりました。
初段をとることにしたのは、弓術をやるにしても弓道で段を取らねば弓道場を借りれないということからです。
4ヶ月ほどで気づいたことは、「弓道家は、すぐにやめる」ということです。道場に来て20本も射る人は少ない印象です。
「集中力が切れてきたからこれ以上やっても中らない」と言ってやめます。単純に練習量が少ない。
矢は「中る」のであって、「中てる」のではないのです。「中る」のだから集中力は関係が無い。むしろないほうがいい。そのことがあまり分かっていない。私は午前中に道場に入ったら昼飯も食べずにずーっと夕方まで立ち続けます。夕方頃には無駄な集中力がなくなってきてちょうど良くなっています。
私を指導してくださる先生に、「中ればよいのではないですか?」と聞いたことがあります。先生は「中り方というものがある」と答えましたが、多分ご本人もよく分かっていないというか、どう中ればよいか説明が付かなかったのだと思います。
最近漸く弓道の目指しているものが分かりました。弓道家で弓道の目的が分かっている人は多分ほとんどいないでしょう。
弓道の目的は、「弓の力を100%出し切って矢を的に中てること」です。
そんな当たり前なことを、道場で忘れて、表面的な形を求めるから間違いを犯すのです。
弓の力を最大限に引き出すには、単純に目一杯引けばよいのです。それから、目一杯以上に引くために裏的を射るのです。
そのための射法八節です。決まりごとだから従わないといけないのではなくて、一番いいからこうしたほうがいいよ、といって決めたのです。射法八節の意図を汲まねばなりません。
大東流的に弓術を解釈するならば、「弓の力を100%出すことよりも、さっさと敵を射抜く」ことが目的となります。