認識=言葉+感覚
認識=言葉+感覚
という定義があるらしく、非常に納得がいっています。
というのも、認識とは言葉のみではないということ。感覚が人によって異なるために同じ事象でも認識が異なること。
合気もそうで、感覚が異なっていれば合気とはなんぞや?というところの認識が変わって当たり前である。
「実戦」と言ったときに、「実戦の感覚」が無ければ「実戦の認識」が無いのも事実。
感覚を得て、言葉と一致したときに認識が生まれる、というのが「学習」であり、
誰も「認識」していない事象の、よく分からない感覚に対して言葉を当てるのが「発見」であるように感じます。